幕末、開港と共にやってきたボストン氷

幕末の1853年、ペリー来航をきっかけに、日本は開国に向けて動きだす。翌年に日米和親条約、1858年に日米修好通商条約が結ばれ、横浜、神戸、函館といった港町に外国人居留地ができました。氷は、居留地の外国人の肉や乳製品の保存、外国人医師が使用する解熱や火傷治療といった医療用に多くの需要があり、開港直後からボストン氷が輸入されていました。日本にはまだ氷を大量に供給する技術はなく、そのため、遠くはアメリカ・ボストンから天然氷が輸入されていたといわれています。

開港直後からボストン氷が輸入されていたが、記録の上で確かなのは、1865年(慶応元年)5月にリズレーが天津氷(てんしんごおり)を輸入し、アイス・クリーム・サロンを開いたのが最初。

横浜開港資料館によると、記録の上で確かな氷店というのは、1865年(慶応元年)5月にアメリカ人興行師(サーカスなどの興行師)リズレーが天津氷(てんしんごおり)を輸入し、今の横浜中華街あたりにアイス・クリーム・サロンを開いたのが最初とあります。

画像: 横浜開港資料館 発行 横浜もののはじめ考第3版 Ⅲ⑥4 リズレーの広告

横浜開港資料館 発行 横浜もののはじめ考第3版 Ⅲ⑥4 リズレーの広告

リズレーは当時から外国人新聞にアイスクリームサロンの広告を出して、早くも氷ビジネスが起っています。

画像: 横浜開港資料館発行 横浜もののはじめ考第3版 Ⅲ③3 牛乳販売のリズレーの広告

横浜開港資料館発行 横浜もののはじめ考第3版 Ⅲ③3 牛乳販売のリズレーの広告

ちなみにリズレーは日本に初めて乳牛のための牧場をひらき牛乳を販売した人でもある。いずれにしても、輸入される天然氷は恐ろしく高価で、居留地の階級層のためのもので、庶民には到底手にすることができないものでした。軽業師の手によって、日本に氷と牛乳販売がもたらせられたとい意外ですね。

画像: リズレーが開業したアイスクリームサロンがあったとされる場所は現在は中華街の中にある。現 9bfjd 中区山下町103番地付近

リズレーが開業したアイスクリームサロンがあったとされる場所は現在は中華街の中にある。現 9bfjd
中区山下町103番地付近

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