開港当時の横浜では地元横浜産の天然氷も生産販売されていたという事実

外国産氷に比べて安価で良質な函館氷は販売も好調で、1880年頃には、中川嘉兵衛の他にも天然氷の製氷業者が登場。なかでも横浜・綱島の名主である飯田廣配(ひろとも)が、横浜港に近く鶴見川の海運がある綱島周辺の水田で農閑期に天然氷の生産を奨励し、この地の農家は競って良質で安価な天然氷を産出していました。「飯田氷室」として近年まで生産されたといわれています。横浜港北エリアで天然氷が採れていたなんて、今では想像できませんね。画像は昭和31年雪の日の飯田家の氷池だそうです。こんな近年まで存在していたとは驚きのひとことです。

画像: とうよこ沿線編集写真集「わがまちの昔と今」1巻より昭和31年冬の飯田家の氷池(綱島)

とうよこ沿線編集写真集「わがまちの昔と今」1巻より昭和31年冬の飯田家の氷池(綱島)

飯田広配(いいだひろとも)は、北綱島の名主で、地場産業の振興に尽力した人ですが、横浜の外国人がボストンや天津(てんしん)などから輸入した氷をたくさん消費しているのを見聞し、外国人より製法を聞き、改良を加えて港北地域の特産品としたのです。後に県の製氷組合の組合長も務めています。

廣配が取り 組んだのが天然氷の製造であった。『飯田家三代の俤』の中で「就中幕末明治期にあって 製氷業に着眼したことはその達識寧ろ驚くべきものあり、加ふるにその製法を刻苦研究し て製氷業今日の基礎たらしめたことは特筆すべきである。」と位置づけている。廣配は都 筑郡や橘樹郡の農家が生産した天然氷を横浜区真砂町三丁目の飯田氷室に保存して、開港 場の横浜や横須賀などに販売をした。鶴見川中流域における製氷業の基礎を築くとともに、 その発展に尽力した人物であった。いわゆる明治期の地方名望家のひとりである

画像: とうよこ沿線編集写真集「わがまちの昔と今」8巻より 明治期の飯田家の製氷事業。鶴見川岸の氷室をつくり船便で横浜真砂町の氷蔵へと輸送した。

とうよこ沿線編集写真集「わがまちの昔と今」8巻より 明治期の飯田家の製氷事業。鶴見川岸の氷室をつくり船便で横浜真砂町の氷蔵へと輸送した。

画像: とうよこ沿線編集写真集「わがまちの昔と今」8巻より飯田家の横浜真砂町の出店と氷室

とうよこ沿線編集写真集「わがまちの昔と今」8巻より飯田家の横浜真砂町の出店と氷室

現在も飯田家は横浜市港北区綱島台17番に「飯田家住宅(いいだけじゅうたく)」として横浜市指定有形文化財に指定されている。
飯田家は江戸時代の旧家で、代々北綱島村の名主を務めた名望家。農地開墾、鶴見川改修、港湾荷役など地元の殖産に尽くした。

画像: 表の長屋門は江戸時代後期。南側は綱島台の丘陵

表の長屋門は江戸時代後期。南側は綱島台の丘陵

画像: 敷地南側は綱島台という丘陵で、北側斜面付近には氷池あとがあるという。

敷地南側は綱島台という丘陵で、北側斜面付近には氷池あとがあるという。

画像: 開港当時の横浜では地元横浜産の天然氷も生産販売されていたという事実

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