写真を撮る人が写るには、自撮りするか、自撮り棒で自撮りするかしかありません(前者と後者の違いは、他の人がどれだけ近づいてくるかどうか)。
で、ほぼ全て自撮り棒なんていう人はあまりいないでしょうから、必然的に、その人はほとんど写真に写っていないという状態が生まれます。
僕は、これに気づいてから、ひとつ新しく意識するようになったことがあります。
「僕の子どものころの写真は、誰が撮ったんだろう?」ということです。
実家にある僕の写真。やたらたくさんあります。僕単体の写真も、親と写ってる写真も、家族の集合写真もあります。でも、まだちゃんと調べてないのですが、おそらくその中に、「ほとんど写ってない」人がいるはずなのです。その人が、僕にフォーカスをあてて、タイミングを見計らって、必殺のワンショットを撮ってるはずなのです。
それから、ネットに溢れる写真、友だちの家にある写真、写真展、写真集、雑誌の写真などなども、前より楽しめるようになりました。「誰が、どんな気持ちで撮ったんだろう?」という視点から見ると、写真が全く違う立体感を帯びてくるからです。撮影した人のそのテンションの高まりや緊張感を感じようとする楽しみが生まれたのです。

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