村西とおるのナイスな人達
人間は自分よりもっと下の底辺を生きている人間を知ることで救われ、
頑張る勇気が出るものでございます。
中学三年のとき両親が離婚しました。原因は私でした。
夫婦ゲンカをしているオヤジの胸元に、私が台所から包丁を持ち出して向けました。
が、刺してやろうなどという度胸があってのことではありませんでした。
毎晩のように繰りひろげられている夫婦ゲンカを、いいかげん止めにしてもらいたいと思ってとったガキのパフォーマンスでした。
が、思わぬ展開となりました。
さっきまでオヤジに殴られてうずくまっていたオフクロが突然立ち上がり、「父ちゃんになにするんだ」とオヤジの前に両手を拡げて立ちふさがったのです。
そして、ウムを言わさす私の手から素早く包丁を奪い取りました。
オヤジは何も云わず茫然として立ちつくしていました。
翌日、オヤジの姿が家から消えました。
そして、家に帰ってこなくなりました。
一年後オヤジとオフクロは離婚しました。
そして9年後、オヤジは死にました。癌でした。
オヤジが死ぬ十日前、病院に見舞いに行きました。
目を閉じてガリガリにやせ、ベットの上に横たわっているオヤジの姿がありました。
介護の人に起こされ目を開きました。私の顔をジッと見ていました。
目から涙が一筋流れ出ました。そして涙がずーっと止まることなく流れ続けました。
人間は信じられないほどの量の涙を流すとこを、知りました。
その夜、実家に帰へってオフクロに「オヤジはもうすぐ死ぬ」ことを告げました。
オフクロは表情を変えずに黙って聞いていました。
深夜、目を覚ますと、横の布団で背をこちらに見せて寝ているオフクロの肩が
震えているのが見えました。低く鳴咽する声が聞こえていました・・・。
『オフクロはオヤジを愛していた・・・』
自分の犯した罪の深さを悟り、慄然としました。
16年前会社を倒産させました。50億の借金を背負いました。
死のう、とは思いませんでした。50億ぐらいもう一度挑戦する機会があればなんとかなる、とタカをくくっていました。
それまで年商100億円の会社を経営していた、という自信が私のやる気の源泉でした。
しかし現実は厳しいものでした。
昨日まで「監督が命です。一生ついて行きます」と、いっていた誰れ彼れが全員いなくなりました。
日一日と追いこまれて行き、4、5年も経つと、再起どころか日々の暮らしにも困窮し身動きが取れなくなりました。
忘れられないことがあります。
息子が幼稚園に通っていました。
朝、妻と一緒に幼稚園に息子を送っていこうとマンションの扉を開けたら、
そこに大家が突然現われました。
「幼稚園に行かせる金があるなら家賃を払え」と大家が怒鳴りました。
家賃を4ヶ月滞納していました。
妻はその場に土下座をして「スミマセン、スミマセン」と謝りました。
泣いています。
おびえて妻の背中に覆いかぶさった息子の指先が小きざみに震えていました。
私は・・・ただ黙っているだけのクズでした。
金融業者から住んでいたマンションの他の100戸余りのマンションの玄関の扉に、「村西、金返せ」「村西ドロボー」「村西ペテン師」の張り紙を張られたことがあります。
各室を訪ねて謝りながら、紙をはがして歩きました。
ある部屋の住人から「アンタ、日本から出ていきなよ」と言われました。
また当時は、週刊誌やマスコミで「借金王」と随分揶揄され、たたかれました。
街や電車の中で私と気ずいた人から、何度もさげすみの目を向けられました。
歩いていたら「借金、借金」と声がします。
振り返ると、そこに数人の高校生がいました。高校生まで私のことを知っている、気持ちが萎えました。
ある朝テレビを点けたら梨本が「ムラニシ金返せ」とカメラ目線でワめいています。
何事かと見ると傍に卑弥呼の姿がありました。
卑弥呼はうつむいています。
「ムラニシ、お前にギャラを貰っていない為に、この娘はポケットに五円の金しか無いんだぞ」梨本の罵詈雑言が続いています。
卑弥呼にはそれまでの一年間に、一億円のギャラを支払っていました。
他の専属女優の5倍に相当する金額でした。
卑弥呼にはえこひいきしていました。その結果の、梨本とのテレビ共演でした。
その日から「借金王」の冠の前に「卑劣な」の文字が付きました。
黒木香が自殺未遂をしました。
倒産騒動のさ中、心配して迎えに来た両親とともに、忽然と私の前から姿を消してから一年半後の出来事でした。
「卑劣な借金王」の前に「女性を自殺に追い込んだ」の形容詞がプラスされました。
この16年間にいろいろなことがありました。
暗く電気を消して眠れなくなりました。
暗い闇の中で自分と向き合うとパニックになり、錯乱してしまうのです。
借金地獄の日々で心に癒えない傷ができました。
16年たったいまでも、電気をつけて室を明るくしてテレビをつけたままの状態でなければ眠れない夜が続いています。
こんな人生を生きてきた私に、否こんな人生を生きてきたからでしょう、倒産してどう生きていったらいいか分からなくなったと、相談に来られる元中小企業の経営者の方がおります。
そんな方にはまず「過去に人に金を貸したことがありますか」と聞きます。
もし10万円でも人に金を貸して返してもらえなかった経験があれば、「借金が苦しい」とは死んでも言えないセリフであることを知ってもらいます。
「借金が苦しくて死にたい」は借りた人間ではなく貸した人間の言い草なのでございます。
次に「あなたさまが倒産された元中小企業の経営者であることを何人の人が知っていますか」と聞きます。
破産者であろうと、雑踏にまぎれてしまえば、あなたさまはただの人「借金、借金」などと、あなたさまに向かって言う高校生など一人もいないでしょうと、私の例を引いてお話しをします。
場所さえ変れば、一からいつだって出直せる立場であることをご理解いただくのです。
続いて、ご自身のスペルマの出る瞬間と、奥方がそのペニスをむしゃぶりついている姿を何人の人間にご覧いただいたことがあるか、を聞きます。
私は妻を相手のSEXを、日本全国数百万人の皆様にご開帳の末、の倒産でございます。
あなたさまは前科はおありですか? 私は前科七犯です。
あなたさまの借金は? 私は50億でした。
あなたさまの年齢は? 私は60歳です。
今日も今日とて、パンツを脱ぎ脱がせる姿をご披露しながら生きております。
そんなお話をしているうちに、ほとんどの皆さまは、みるみるうちに精気を取り戻し元気になられます。
「お通夜」や「葬式」の席に参列した人達の顔が、不思議にイキイキとしている、
そんな光景に共通している心持ちを持たれるようです。
私の「狙い」が通じます。
「人の不幸は蜜の味」でいいのだと思います。
こんなヒドイ人生を生きている人間がいる、を知っていただくことで元気を取り戻していただければ本望でございます。
「どんな苦しみにも耐えられる、過ぎ去ってしまえば、すべて思い出になるから」好きな言葉でございます。
オフクロが4年前に亡くなりました。

葬式の席で親戚のオバさんが話してくれました。
「あんたのお父さんは、息子を親殺しにするわけにはいかないからって、家を出たんだよ。あんたは知らないだろうけど、あんたの姿を見たいからって、毎月一回は私の家に来て、窓からあんたをコッソリ見てたよ」、40年ぶりに知る「オヤジの眼差し」でございます。
私がオヤジに包丁を向けたときの自分と同じ年の息子を持つ身となって、オヤジの「愛情」とは、「どんなことであったか」を知るようになりました。
毎朝仏壇に向かって手を合わせることが日課になっています。
仏壇には、オヤジとオフクロと一歳の私が写っている、60年前の三人一緒の写真が飾ってあります。
「元気ですか」線香とロウソクに火を灯しながら写真に向かって話しかけます。
死んでいるのに「元気ですか」なんておかしいのに・・・。
「元気ですか」の言葉が一番ふさわしい言葉に思えて、毎朝「元気ですか」を続けています。
「元気ですか、ありがとう、許して下さい。」
人間、いまどんなに辛くても明日に希望があれば頑張れる、と云います。
私は困難に遭遇するとき、「父母への大恩」を心の中に甦らせ、立ち向かっております。

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